映画「シン・ゴジラ」を観てきました

2019年3月6日

なかむーです。
映画「シン・ゴジラ」を観てきました。
(以下、ネタバレ含みますのでご注意ください)

結論から言えば、想像以上の出来に、想定以上に感動。久々に「もう一回観直したい!」と思える作品でした。

いわゆる「特撮」と分類される映像作品群。我が国の映画産業過渡期を支えた、日本が世界に誇るジャンルですが、僕が最初に触れた特撮作品は「ゴレンジャー」でした。

なぜか突如、街中に現れる怪人や怪獣。逃げ惑う人々。そこにタイミングよく颯爽と登場するヒーロー。
戦隊であれ、ライダーであれ、ウルトラマンであれ、そのプロットは同じで、実は子どもながらに「非現実さが気になって夢中になれない」という、メンドクサイ感じの小僧でした笑

なので、変身ポーズを真似て遊ぶこともなく、関連するオモチャを集めることもなく、どちらかと言えば「特撮はニガテ」として大きくなりました。

芸大に進み、授業の中で映像の歴史を学ぶようになり、そこでようやく「ゴジラ」と向き合うことになります。

戦後の傷が少しずつ癒えはじめ、経済が成長期を迎え始めた当時の時代背景に合わせた物語やメッセージ性、それを子どもから大人まで「万人に届けるため」取られた手法が「特撮映画」な気がしました。

もちろんクリエイターとして「誰もやっていない、面白いものを創ろう」という気概は当たり前に感じ、その時代では「特撮映画」が最も新しく可能性のあるジャンルだったのでしょうが、その事以上に、奥底には「思想めいたもの」が、マグマのように赤黒く渦巻いているのを強く感じたのを憶えています。

芸術作品は時代を映す鏡だと僕は思います。

戦争を知る人が減り、それが画面の向こう側という対岸の火事になりつつあった日本に、311という、人生を一変してしまう出来事が起こります。

画面の向こう側で起こる事が、明日は自分の身に起こる事かもしれない…。
そう誰もが思える程に、世界は狭くなりました。

憲法9条の改正案、戦争、原発問題、テロリスト、政治問題や宗教問題。
地震、津波、台風、洪水、治療不可能な伝染病。

どこかの途上国に比べれば平和かもしれないこの国は、いつのまにか「平和な日本」とは自分で言えなくなってしまいました。

今、日本人の心は、戦争を経験した国だからこそ、再び起こるかもしれない「何か」への不安を、敏感に感じはじめているのではないでしょうか。

今、日本人の心が、せっかく感じはじめた事から目を逸らしてしまう前に「今、伝えなければいけない」という強い思想を持ち、マグマのような赤黒い痛みを抱えて生まれたのが「シン・ゴジラ」なのではないでしょうか。

ゴジラが海から川を遡上するシーンは、311の津波被害を思い出させ、目を覆いたくなります。
子どもが積み木を崩すように、崩壊するビル群は、明日起こるかもしれない大地震を想像させ、一瞬のうちに炎に包まれる都市や、熱線によって撃墜される戦闘機は、またいつか起こり得る戦争を連想させます。

混乱を孕みながら、仕組みと段取りを重んじて対策を講じる政治家と、生命を賭して最前線へと向かう自衛隊員。
憲法9条の改正なくしても、日本は戦争を出来てしまえる国なんだという事が、空想の世界で、でもそれはとてもリアルに描かれます。

この地球の有史以来、唯一、2度の核攻撃を受けたこの国に、狭い国土の中に所狭しと原子力発電所を抱えるこの国に「3度目の核攻撃をもって殲滅しなければいけない、体内に原子炉を有する未知の怪物が上陸する」という物語が、この現代の、この時代に再び現れたのは偶然か、それとも必然なのか。

「この国はスクラップ・アンド・ビルドで発展してきた」

未曾有の災害をくい止める変身ヒーローは残念ながらいなかったけれど、崩れた瓦礫を掻き分けて怪我人を救出するヒーローや、国の機能を取り戻し維持、再生させようとするヒーローは確実に存在する。

映画を観終えて自宅に戻り、ミニカーやレゴで街を創って「とうちゃん、ゴジラやって!そうちゃんがまちをまもるから!」と見栄を切って僕に立ち向かおうとする小さなヒーローに、何処と比べる事もなく自分から「この国は平和です」と言える時代を繋ぐのが僕らの使命で「シン・ゴジラ」はそんな当たり前の事に改めて気づかせてくれる作品だと思います。

空想科学というファンタジー世界で、時代背景に即した緻密なリアリティを、先人達が培ってきた分かりやすいプロットに落とし込み、限りなく現実味を帯びた、でもやっぱりエンターテイメントなファンタジーで終わらせる。

日本の映画史に残る、新しい空想科学映画が誕生し、海から陸へ上がってくる瞬間を観た気がします。